松山カオリ
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2016年3月寄稿
片づけなさい
私の部屋には、「片づけなさい」という文字が書かれたポストカードが張ってあります。
一応、散らからない程度には整理整頓していますが、到底狭いマンションに納まる量ではなく、すっきりするレベルにはなかなか至りません。
年相応に整理能力も落ちたらしく、昨年末に広げた未整理のノートや紙類も、部屋の隅に積んだままに。
捨てられない服や布地は、自分の部屋に納まらず、倉庫部屋や妹の部屋の押し入れにまで浸食。家族中の「片づけなさい」という無言の圧力が、ひしひしと伝わってきます(被害妄想かもしれません)。
断捨離やシンプルライフ称賛の世の中では、肩身が狭くなる一方ですが、捨てる神あれば拾う神あり。テレビで作家の五木寛之先生が、「長生きしたければ、早々と片づけをしない方がいい」とおっしゃられていました。「あんなに散らかっていてはまだ死ねない」という危機感が、寿命を延ばすからだそうです。
とはいえ、フランス人女性の「服を年間十着で着まわす方法」本がベストセラーになったり、「捨てられない派」への圧力は、日に日に強くなるばかり。
先日、情報番組を観ていたら、ついに「服は全部レンタルで間に合わす」という方法までが、紹介されていました。
なるほど。もういっそのこと、服だけではなく全てレンタルになれば、片づけなんてしなくて済みますね。
いやぁ、それは潔い。ため息つきつつ、とりあえずノート整理からがんばります。
2016年3月7日
2014年9月寄稿
「No.13」は長生き
先日、知人の「101歳を祝う会」に招かれました。
101歳のご当人は、銀座のあるお店の現役オーナーで、今でも元気に毎日お店に顔を出されています。集まった方々のお祝いの言葉も様々で、皆さん楽しげにスピーチされていました。
主役自身のお話も愉快でした。仕事一途な方かと思いきや趣味も豊かで、色々な活動のまとめ役としても活躍されています。
そのひとつ「アーチェリーの会」でのこと。会員それぞれに番号を付けることになったとき、キリスト教圏では忌み嫌われる「No.13」になり手がいなかったそうです。仕方なくその方が、まあいいかとNo.13 を引き受けたとか。
それは50年前のこと。年下の会員も多かったはずですが、No.13より若い番号のメンバーは、今はもうどなたもおられません。
10月7日
地元の嘆き
作品はエッセー書けませんでしたが、川柳もどきと言いますか つぶやきのようなものが出来ましたので送ります。
地元の嘆きです
汚染水 三題
・汚染水いつまで続く負の流れ
・汚染水東電國はどう考える
・ニュース聞き又かと嘆く汚染水
感情老化にご用心
25年7月24日
先日新聞に、「感情老化にご注意を!」という記事を見つけてドキッとしました。年をとると、脳や体が衰えるのはもちろん、物事に対する感情も老化して、どんどん鈍くなるそうです。「頑固じいさん、ばあさん」にならないためには、気持ちを若々しく保つことが大切と記事は続いています。
心を弾ませ、興味の対象を見つけ、新しい人と交流するのが何よりの予防策とのこと。それらをクリアすると言えば、まず「恋」が思い浮かびますが、そこまでハードルを上げなくても(?)、時間を忘れて熱中できる趣味などは最適なようです。
私の場合は、自分の硬い思考や気持ちをほぐしたいと、新しい世界を求めてジョークサロンにやってきました。しかしここのところ、感情老化が進んでいるらしく、ジョークはすべて「未遂」に終わっています。
どうやらサロンに参加して以来、一番のジョークは、私のようなまじめなキャラクターがジョークサロンに参加した…という一点に尽きるようで、このときには家族や親戚にだいぶ笑ってもらえました。
琥珀色の百寿
25年6月26日 松山カオリ
先日「100歳を祝う会」という集まりに出席しました。
ぜひ長生きの秘訣をお伺いしたいところですが、会場に入ると最近では珍しいタバコの煙がモウモウでまずびっくり。甘い香りのパイプタバコのメンバーが多いのは、白いジャケット姿で颯爽と挨拶されている本人が、永年パイプスモーキングクラブの代表をなさっているから。
銀座8丁目のカフェ・ド・ランブルというコーヒー専門店のオーナーとしてコーヒー博士のように生きられているS氏は、このパイプの煙とコーヒーに囲まれながら、ゆうゆうと100歳を迎えられた訳です。
私が最初にお店のドアーを開けた時、カランコロンとカウベルの音色に迎えられましたことを、昨日のことのように覚えています。カウンター席でパイプをくゆらす客たちの姿を見て、私の父親と同類と感じ取り、その日以来40数年間も通うことに。
信念を持って好きなことをすることが、何よりの長寿の秘訣なのでしょうか。後に続く高齢者の一人として、生き方の参考になりました。
長生きしないことです!
25年5月22日 松山カオリ
高齢者にとっては、夢のない話を聞いてきました。
テーマは、「物忘れ検診から見えた認知症予防について」。
「認知症」というのは、正常に発達した知的機能が持続的に低下し、複数の認知障害が出ることだそうです。加齢による「物忘れ」は、長年の経験によって、ヒントがあれば思いだす事が出来るし、「物忘れ」を本人が自覚しているので、日常生活には支障をきたすことがそれほどありません。そのため、加齢による物忘れは、認知症とは言いません。私も人の名前が出なくなることが増えましたが、そのたび辞書をひいて確認します。
講師の話を聞きながら、ドキッとさせられたり、ほっと胸をなでおろしたりなど、色々な刺激を受けました。認知症にならないポイントのひとつに、「脳を出来るだけ刺激しましょう」という言葉がありました。人との交流、頭を使う活動、有酸素運動を行うなど。このサロンの方々なら、みなさん実行していることばかりですね。
講話の後に、「どうしたら認知症にかからないで済みますか」という質問が。
講師はほぼ即答で答えました。「それは長生きしないことです」
まぼろしの船
25年4月24日 松山カオリ
先日地元福島市のギャラリーで、「失われた風景」と題した展覧会を観ました。絵の題材は、福島県内の美しい沿岸に広がるのどかな漁村の風景や、漁港にたたずむ漁船の姿。描かれた水彩画ニ十数点はどれも、心に残るやさしさがありました。後で聞いてみると、それらの漁船はすべて二年前の津波で、流されてしまったそうです。持ち主の方たちの悲しみを考えると、言葉もありません。
数日前、「津波が運んだ魚」というニュースを目にしました。米国オレゴン州の水族館の水槽に、日本が生息地のはずの黒白縞柄の「いしだい」が泳いでいます。
津波で岩手県の浜から流失した漁船が、太平洋を二年間さまよった末に、かの地に流れ着き、えさ箱に入っていたいしだいは、生き延びたのだとのこと。今では異国の水族館で、子どもたちに珍しがられているそうです。津波に翻弄されたのは、どうやら人間だけではないようですが、元気に泳ぐいしだいの姿に、ちょっとほっとさせられました。
花びらの小道 25年3月27日
東京の桜が、3月の中旬に開花というニュースを耳にした時、私は以前住んでいた東京のマンションの前の道で、眺めた風景を思い出しました。
桜の季節も終ろうとしていた頃、外出しようと玄関に立ったら、目の前に桜色の絨毯が広がっていました。道の向かい側には、桜の木が10本位植えられ、伸び伸びと枝葉を広げていたので、風に吹かれた花びらが、一晩かけて小道一杯に敷き詰められたようです。表通りに出るまでの数十メートルを、夢のような気分で歩いたことをよく覚えています。
現在住む福島の道には、その絨毯はありません。代わりに敷き詰められているのは、セシウム…なんてことがありませんように!
ケロケロの効果
21年2月27日
友人から風邪見舞いのハガキが届きました。国宝の鳥獣人物戯画、甲巻の絵でした。カードの送り主曰く…
「私は気持ちが落ち込んだ時、この複製の巻物を眺めて“気楽に”と自分に言い聞かせます」と書かれています。
平安時代に描かれた絵が、現代の人間の精神安定剤の役割を果たしている訳です。
世界中で死を伴う争い事が多く、人の命が安易に奪われています。自国の力をアピールするために、強力な武器の保持をほのめかす国も出てきて、怒りや不安の感情はなかなか抑えきれません。
でも日本人は昔から、ユーモアで心をほぐす方法を知っていたのですね。絵の中のうさぎやカエルに、自分を置き換えてみると、なんだか楽しくなってきます。ケロケロ。
名前もいろいろ
25年1月23日 松山カオリ
最近の子供には、説明なしでは絶対に読めない「難読」名が増えています。それも漢字の語源など、教養があれば読めるものではなく、ムードや趣味で音を選び、好きな漢字を当てたための難読。最近見た名前だと、金銀(メダル)君に東大(かしこ)君、白雪(ひめ)ちゃん、礼(ぺこ)ちゃん。ちょっと頓智が利きすぎです……。
そんな中で先日、わかりやすい名前の由来を知りました。
8000人の住民が住んでいた福島県の新地町は、3.11の震災で津波に流されました。海岸線を走っていた列車が浜辺に二両横倒しになっている映像は、二ユースで何度も目にしたものです。乗車していた若い警察官の誘導で、電車の乗客たちが、間一髪難を逃れたということも話題になりました。
当時、災害ボランティアとして活動していた若い女性が、津波の災害の片づけに携わったその新地町の事を忘れないためにと、生まれてきた赤ちゃんに「新智」という名前を付けたそうです。
写真で見た若い夫婦と新智君との3人の笑顔は、とても感動的でした。どんな名前をつけてもかまいませんが、こんな風に、子どもが大きくなってから、誇りを持って伝えられる名前がいいですね。
神様の見守る家
24年12月19日 松山カオリ
おせち料理の広告が、ちらほら目につくようになり、お正月が近いことを感じる今日この頃。幼い頃には暮れが近づくと、父を手伝い床の間の掛け軸を変えたり、お正月用に生け花を飾ったりしたものです。大みそかの夜と元旦の朝は、父に従って家族揃って神棚に拝礼するのが、私の家の習慣でした。
父が健在だった時は、東京で仕事を待つようになった私も、31日には必ず帰省するのが決まりで、学生時代の妹達は旅行にも行けないと文句を言っていました。でも父が亡くなった今となっては、それも懐かしい思い出のひとつです。
40年間を送った東京でも、故郷に帰った今も、マンション住まいで神棚のない生活を送っています。お正月に神社にお参りする習慣は毎年続いていますが、住いに神棚がない事に何の不自然も感じていませんでした。最近神棚があればなぁと思ったのは、友人から頂いたお札を、どこに置こうかと困ったときぐらいです。
原発事故被害で避難をし、帰れないままになっている方々が、「家は荒れ放題で悲しいけれど、きっと神棚と仏壇が家を守ってくれています」と語っていた言葉が、印象深く胸に残っております。
紅葉が過ぎて 24年11月28日
松山カオリ
穏やかな秋の気候は束の間、すっかり寒くなってきましたが、少し前までは紅葉が、秋の風情を感じさせてくれました。
私の住むマンションの近くには、広いスーパーの駐車場がありますが、その周りは大きな樹木で囲まれていて、秋には紅葉が見事な彩りを見せます。
毎朝、新聞を取るため一階に降りるたびに、日ごと移り変わる葉の色合いを、まるで定点観測のように楽しみました。もみじ色とひと口に言っても、どの色も少しずつ違い、パレットの絵具を総動員して色づけしたかのようです。
冬に向かうと共に、その鮮やかな色彩のパレードも終了。今は路面一杯に、枯葉が舞い落ちています。まだ樹にしがみついている葉や裸木も、ちょっとさびしげで寒そうです。
私の住む福島県でも、あまり暖かいニュースは聞きません。復興の掛け声もむなしく、原発の後始末や除染のこと、仮設住宅に入っている方のことなど、解決にはほど遠い状態です。ついに国会もバンザイ解散。出たり入ったり、また出たりと、移ろう季節のように賑やかな人間模様が、再び国会でも繰り広げられるのでしょうね。
スポーツは苦手です 24年10月24日
松山カオリ
新聞やテレビを、毎日賑わすスポーツのニュース。高校生までは私も、いろいろなスポーツにチャレンジしました。ただしバレーボールと鉄棒の懸垂は苦手でした。家族一同腕の筋肉が弱かったようです。走る事と飛びあがる事は大好きでしたが、選手になるほどには熱中せず。大人になってから習ったゴルフは、練習場止まりでグリーンに出る事は皆無で、スポーツが得意とはとても言えません。
とはいえ、観る方は結構好きで、会場まで出かけても観たいのがフィギュアスケート。衣装の華やかさと選手の美しさが魅力です。対照的ですが相撲も大好きです。相撲好きの父が、子供の頃、ラジオで取り組みの様子を聴いていて、専門雑誌が家にあったので影響されたのかもしれません。
先日、オリンピックで三連覇を成し遂げた女性選手に、国民栄誉賞を与えるかどうかで政府が悩んだそうですが、その理由が、「世間があまり盛り上がらない」。震災の後も、次々とメダルを勝ち取った五輪選手たちが、頼りない政府の代わりにどれだけ勇気をくれたと言うのでしょう? 盛り上がっていないのは、あなた方の政治の方と、スポーツが苦手でもひとこと言いたくなりました。
吉田さんようやく決まりましたね、国民栄誉賞おめでとうございます。
笑いあれこれ 9月26日
松山カオリ
厳しいニュースの反動でしょうか。笑いに関係する出版物が増えた気がします。
最近手にした『「実践笑い学」国民笑生産のすすめ』の筆者は、経済学がご専門の福島大学教授・清水修二氏。
学者だからこそ語れる辛口の笑いは、バラエティに富んでいて、少し皮肉な見方も痛快です。最後の項目に<災害特別編>というのがあって、地元住人(福島)の立場での考えを述べています。私たちが日頃口に出さないでいる不安や不満を、鋭い切り口で笑いに消化させてあり、気持ちがすっとしました。
地元新聞のコラムにも、やはり笑いについての本の紹介記事がありました。『ごきげんな人は長生きできる』という本で、「笑いが身体に及ぼす影響を医学的見地から説明しているそうです。こちらは医学部教授が筆者です。
不安な人間社会を、笑いで乗り切るという生き方。ジョークサロンのみなさまは、とっくにご存知ですよね?
さんまの季節
秋の味覚の一つにさんまは欠かせません。青身魚は身体に良いということよりも、容姿端麗で油がのって文句なしに美味しいのが人気の理由でしょう。
一つだけ難点があるとすれば、焼く時に煙が立つことです。今から40年くらい前、どうしてもさんまを食べたくなり日が暮れるのを待ってベランダで焼き始めました。
もうもうとした煙の中で、ようやくさんまに焦げ目がついてきたころ、消防車のサイレンが耳に入りました。
近くにある赤坂消防署から煙が上がっているので出動してしまったのだとか。
ベランダで魚を焼いてはダメ!と厳重に注意をされましたが、美味しく食べる方法は伸び伸びと焼く事なのに集合住宅では無理のようです。さんまのもう一つの魅力は、値段が安い「庶民のごちそう」であること。しかし今年は水揚げ量が少なく、高騰しているようです。“あなたもついに高級魚の仲間入りですか”と店に並ぶさんまへ文句を言ってみても「僕のせいじゃないもーん」と言葉を返されてしまうことでしょう。
夏の色 24年7月25日
松山カオリ
子供の頃描いた真夏の太陽の絵は、真っ赤に輝いていました。海辺ならそこに、白い入道雲と水色の空、白い波しぶきのあがる青い海の組み合わせ。陸ならば、黄色のひまわりが必ず絵の中に。花びらに囲まれた茶褐色の種の部分が、花びらの引き立て役。大きな緑の葉に、しっかりとした茎は淡い緑色。街路樹も、濃淡の緑の葉を伸び伸びと見せます。それから、オレンジや赤や黄色の果物と、色とりどりの野菜たち。
自然界の夏の色は、白を含め、メリハリのきいたはっきりした色が目立ちます。
そんな鮮やかな夏だというのに、すっきりしない色合いなのは政治の世界。夏の海の白い波にさらわれてしまったかのような、政治家の良心はいまいずこ・・・。国民のために、保身や欲望といったグレーな感情を、すいか割りのようにすっぱり叩き割って、すいかの赤と黒い種のコントラスのごとく、白黒はっきりさせてもらいたいものです。
なつかしい味 24年6月27日
松山カオリ
先日知人から「ちまき」をいただきました。端午の節句に和菓子店で見受ける円錐形の笹の葉に包まれたちまきではなく、昔から伝わる家庭で作る三角形のものです。思わず「懐かしい」とお礼を伝え、早速お昼に御馳走になりました。届けて下さった方は山歩きが趣味で、いつも季節ごとに山菜をおすそわけして下さるのですが、そのときも今回も「笹の葉は山形で採ったのでご心配なく」との説明付きでした。
懐かしいちまきに、妹と一緒に「お母さんの味ね」と福島を感じました。子供の頃、母がちまきを作る姿を見て、真似して作ったのですが、蒸しあがってみたらパンパンにふくらんでしまい、手加減の難しさを感じたものです。
母から習ったこのちまきも、私には伝える人がいないので、やがて消えてしまうかもしれません。しかし一番消えて欲しいのは、原発、放射能、汚染・・・等という言葉。こんな言葉はジョークにして消してしまいたいと思いますが、悲しい気持ちが強すぎて、なかなかジョークにもなりません。